過去の活動報告
2011年
時間: 16:00〜18:15
出席者:33名
通常総会を終えて、それぞれが小集団でバス或いは徒歩により渋谷に移動、東急プラザの9階にある中華料理レストランで、今年の係である長島幸子さん、
秋月とし子さん、せつ子さんご姉妹のお世話で、新年会が開催されました。4つの円卓に着席し、堀内会長の元気なご発声で一年の活躍を祈念しての乾杯から
スタート。広東料理の流れをくんで、日本風にアレンジされた本格的な中華料理のフルコースを、飲み放題の各種飲み物と共に賞味しながら歓談しました。
宴たけなわの合間に係の秋月さんが、格調高いクイズを用意され、テーブルごとに配られた用紙に回答を記入しました。第1問は、1月から12月までの
各月の陰暦呼称は何か?というもの。各人があれこれと思い出して回答、手帳のカレンダーをアンチョコにして答を探す人も。正解は1月睦月、
2月如月(きさらぎ)、3月弥生、4月卯月、5月皐月(さつき)、6月水無月(みなづき)、7月文月、8月葉月、9月長月、10月神無月(かんなづき)、
11月霜月、12月師走(しわす)でした。暦に関連して1月生まれの方に集まってもらい誕生祝。堀内会長はじめ5名の方々が中央に出てお祝いされました。
中でも菊池先生は当日22日が満75歳の誕生日でした。生れ月毎に各人が挙手して名乗り合い、来年は1月ばかりでなく8月生まれをお祝いして・・・
と幹さん。
第2問は日本の「国民の祝日」をすべて挙げなさい、というもの。日にちは判るものの新しい名称が判らない人もいましたが、全部で15日でした。正解は元日
(1月1日)、成人の日(1月の第2月曜)、建国記念の日(2月11日)、春分の日(太陽暦の春分)、昭和の日(4月29日)、憲法記念日(5月3日)、
みどりの日(5月4日)、こどもの日(5月5日)、海の日(7月の第3月曜)、敬老の日(9月の第3月曜)、秋分の日(太陽暦の秋分)、
体育の日(10月の第2月曜)、文化の日(11月3日)、勤労感謝の日(11月23日)、天皇誕生日(12月23日)でした。
今年は卯年ですが羽仁先生は7回目の年男。生れ年の干支ごとに起立して仲間を確かめあったりしました。
時間が過ぎてゆく中で、古川先生から、今年の体操指導の抱負として、「いらない力を抜いて楽な動きをしたい、それは美しい動きになると思う。
アンセルの練習の時ばかりでなく、それぞれが自宅で自発的に出来て身体のためになるような体操も教えていきたい」と話されました。
和やかに楽しんだ会も予定時間を15分も過ぎで閉会解散となり、土曜日の夜で賑やかな渋谷の雑踏の中をそれぞれ帰途につきました。係のみなさま、
大変有難う御座いました。
(自称 アマゾンの百姓、アマゾニア森林保護植林協会 会長)
受講者 40名(内アンセル会員29名)
長坂先生は、大学卒業後、25歳で単身アマゾンに移住し、45年間の開拓生活の中で、我々の想像のつかなかった数々の困難やご苦労の経験を、
巧みな話術で面白可笑しく語られ、なごやかな雰囲気の中、3時間があっという間に過ぎてしまった程でした。開発で乱伐される熱帯雨林を守り、
自然環境を如何に大切にせねばならないかとの思いで植林を続け、更には非行青少年の更生まで努力されている先生の熱意と努力に深く感銘いたしました。
以下印象深いお話を要約致します。
・我々アマゾン農業開拓者自らが自然破壊をしていた事に気付き、1990年に森林保護植林協会を立ち上げた。日本各地を草の根講演で 植林の必要性と日常生活で無理、無駄、無乱をなくすことが大事と、お話している。
・アマゾンには世界の64カ国から開拓開発に入植したが日本人のみが定着。18世紀には英国人が特産物のゴムの種子を持ち出し植民地の 東南アジアで栽培をはじめアマゾンの天然ゴムが衰退した。19世紀初頭には北米の自動車会社のフォードやタイヤの大企業が莫大な資本と技術を投入し ゴム園を造成したがすべて失敗。その頃から日本からの移民が始まり、イエローモンキーと馬鹿にされながらも日本人は小さな身体で幾多の辛酸をなめ、 苦労を重ね病気と闘いながらも定着した。白人と違い黄色人種の肌が熱帯の暑さにも負けず、黒い瞳が赤道直下の陽射でもサングラス無しで生活出来、 日本人には耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ大和魂があり、どんな苦難も切り開く精神力があった。
・日本人がアマゾンで、成功させた2つの特産物の紹介。第1は「胡椒(コショウ)」。臼井牧之介氏(映画監督大島渚夫人 女優小山明子さんの父)が 1933年移民監督官として移民船の途中シンガポールから持ち込み、アマゾンで栽培して苦心の末成功。今ではアマゾン胡椒王国となっている。受講者全員に この黒胡椒をお土産に頂く。第2は「ジュート麻」。ブラジル特産のコーヒー豆を輸出する袋はすべてインドから輸入の麻袋だったが、尾山良太郎氏が苦節 10年失敗を重ねながらも、たった1本の突然変異種を見つけ、これを源にアマゾン産ジュート麻の量産化に成功。以後ブラジルコーヒーの袋は自国で 自給出来るようになった。これらの成果は日本人の評価を高め、対日感情が世界で一番よいところになっている。
・密林を斧一本だけで一人で開拓する中、アマゾンの空気の味と香りを知り、緑の天井と言われる密林の木を倒し、3ヶ月かかってやっと見えた空から差し込む 太陽の明るさと暖かさを知る。人を見ない、誰とも喋れない苦痛、喜怒哀楽がなくなる生活の中で、唯一持参の広辞苑の辞書を大声で読んだり、字を書いたり。 人と話す声の大事さを知り、目に見えないもの空気、太陽エネルギー、そして声の大切さを学んだ。
・問題児をアマゾンで更生させた話。麻薬常習者、万引き、登校拒否、家庭内暴力、引きこもりなど16人の社会から見放された青少年をアマゾンに連れて来て、 共に生活した。時間で生活することを教え、熱中することを与え単純労働で汗を流し、疲れと空腹感を持たせ、定時食事のうまさを感じさせる。我が子と一緒に 寝食を共にさせ、叱らずに誉める。ブラジルの風習に子供が大きくなっても母親が抱きしめる習慣があり、女房が我が子同様に朝晩抱きしめてやる。 やがて甘える感情がプラスに転ずる。日本では体験できなかったアマゾンの大自然の中で、自分で道を見つける事が出来るようになる。大自然の偉大さの中で 自分の非力を自覚し、何とか生きようと決意する。
参加者 51名(うち宿泊36名)
例年とは時期が異なり、6月の初夏合宿となりました。
初日は、9時45分堀内会長の元気いっぱいの声による「お目覚め体操」でスタートを切りました。
古川先生のウォーミングアップに続いて、羽仁先生の指導で発表作品の練習となりました。まだまだ覚えきれずにいると、
「体操になっていない」との羽仁先生のお言葉に身が引き締まりました。初参加者も一緒に行ない、「洗練された素晴らしい体操ですね」との感想も
ありました。
午後(13:00〜)は村松副会長による体操。お腹一杯になった重たい身体を動かし、特にジャンプをするときはヨイショと思わず声が出てしまいまし
た。4人グループでターンをしながら歩くときは、心を一つにして滑らかに動けるよう協力し合っていました。続いて、泉先生のタオルと椅子を使って
のストレッチ体操。全身を部位ごとに細かく丁寧に無理なくストレッチでき、とても心地が良かったです。本日の最後として、古川先生の「お手玉」
。久し振りなので、不安そうにお手玉を手にしていましたが、曲が始まると皆さん自然と身体が動き、さすがだなと思いました。
夕食後のミーティングでは、「サラリーマン体操」のビデオ観賞。とてもユニークな体操で大いに笑って楽しみ、疲れも和らいだのではないでしょうか。
翌朝の小散策(自由参加)。鎌倉時代の武蔵武士、畠山重忠の菅谷館跡や城郭などを見学しました。緑豊かな新鮮な空気に包まれ爽快でした。
二日目の午前(9:45〜)は、友景先生の経絡、ツボ、リンパについて学びました。まず腹式呼吸。リラックスして腹部を柔らかくほぐす。胸部・腋窩・鼠径・鎖骨の
リンパの流れを促すリンパ体操。痢症活点、感情抑圧点、腸骨稜(呼吸活点)などゆっくり時間をかけてのほぐしで、からだ全体がじんわりと温かくなり、
とても軽くなりました。引き続き、昨日同様、羽仁先生の号令に合わせ発表作品の練習を重ねました。
午後は、若手の大塚先生。合宿での指導は初登場でしたが若さを感じるプログラムで、「こぶしチーム」の皆さんが前列でリード。最後は昨年交歓会で発表
のこぶしのプログラムを練習しました。流れるようなリズムにのって皆さん楽しそうに行ない「さすがアンセルの人たちは覚えが速い」と誉めて頂きました。
総まとめとして、古川先生のいつもの伸びやかなウォーミングアップに始まり、足指の体操、股関節のトレーニング。体育館いっぱいに自由に移動しながら、
多くの人と共に楽しめる体操をして終了となり、十分に合宿を満喫することができました。
羽仁先生のご挨拶「2日間皆さんの元気な動きに感心。大したものだ。帰ったらまた家事もしっかりやってご主人を大事に!!
そうすればアンセルの体操に出やすくなるから・・・。」で閉会となりました。
諸先生方、参加くださった皆様のご協力のもと、無事に合宿を終えることができましたことに深く感謝いたします。どうもありがとうございました。
(合宿係:島村しのぶ、牧みゆき)
発表:「2011年羽仁先生 プログラム」
アンセル参加者:38名
日本における体操の学術研究者、社会体育の体操実践指導者が会員の「日本体操学会」の第11回大会が、「人を育む体操」をテーマとして10月8日から10日まで
自由学園で開催されました。
本大会の大会名誉会長には、羽仁 淳先生、大会組織委員長には、菊池昭一郎先生が就任され、自由学園出身のデンマーク体操指導者でアンセル会員の皆様
(村松、古川、友景、大塚)が組織委員スタッフとして活躍されました。
8日は秋晴れの青空のもと、大芝生の校庭で伝統ある自由学園の体操会が開催され、幼稚園児から最高学部までの全学園生が参加して各種の演技が繰り広げられま した。特に今年は創立90周年を記念して、20代から70代までの男女卒業生有志が揃いのユニフォームで出演し、羽仁先生の号令による基本体操と、音楽付きの振りを ベースとした体操を発表されました。アンセル会員の先生方が全員参加され、演技されました。多数のアンセル会員が発表を観覧し、人を育んできたデンマーク体操 に深い感銘を受けました。
10日午後からのワークショップ、ポスターセッションの後、最後のイベントは羽仁先生による「デンマーク体操/実演・みんなで体操」でした。そこでは、
最初に私たちアンセルチームが「2011年羽仁先生プログラム」を演技発表しました。何度も拍手を頂きましたので、まずまずの出来だったと思います。
その後このプログラムを羽仁先生の号令のもと、参加者全員で実技練習を繰り返し、最後には音楽にのって仕上げられました。さすがに体操指導の専門家だけに習得は
速いようでした。それに付け加えて、デンマーク体操の特徴の一つである巧緻性を求められる手足チグハグの跳躍を練習し、参加者一同大汗をかいてお開きとなりました。
日本におけるデンマーク体操発祥の学校である自由学園において、素晴らしい「体育の日」を過ごすことが出来ました事に感謝致します。
参加者 93名(10チーム)
昨日の雨もあがり、朝から秋晴れのよい天気となりました。大勢の体操の仲間が次々に集まりました。
午前中はそれぞれのチームが交代でリハーサルを済ませました。
堀内会長は開会のご挨拶の中で、この交歓会も1974年以来通算すると今年が38回目になったこと、今年も大勢の皆さんが元気で参加されたことに
感謝の意を表され、引き続き何時もの大きな声で「ワンポイントレッスン」をされました。
今年は10チームの発表が第1部、第2部に分かれて行われました。
第1部の発表は6チームで、4番目に発表した泉先生の「クローバー&ガーネット」のチームは久しぶりの参加、5番目の菊池先生の「文京体操グループ」は
昨年に続いて2回目でした。
発表の第1部が終わって、伊藤延世先生のご指導による「みんなで体操」の講習がありました。前半はアンセルでもなじみの腕のスウィングを中心とした体操で、
この運動は手、腕だけのためではなく全身の運動であることを強調されました。後半は二人組からフォークダンスのように大きな輪になってパートナーがつぎつぎと
代わり、多くの参加者との親睦が出来ました。
第2部の発表は4チーム。アンセルの発表は最終でした。昨日からの練習の成果が出たのでしょうか。最後に男性がポーズするところでは特別に拍手がありました。
発表を終わり、調整ストレッチの「みんなで体操」を古川先生のご指導により全員で行い、アッと言う間に時間が進みました。
最後に講評として伊藤先生から、交歓会参加のお礼と、各チームが練習の成果を発揮したこと、ご指導の先生方の「思い」がよく表れていたこと、大震災の
被災地仙台を訪問して現地を見ながら、体操に生きる幸せを感じた、とのお話がありました。
閉会のご挨拶で羽仁先生は「昨日、今日の2日間、怪我もなく無事に終わり、皆さんの元気に感心した。よく動いてとても良かった。来年はもうすぐやってくる。
更に一年精進して来年は一人でも多くの人がまた集まりましょう。」と結ばれました。
楽しい2日間でした。達成感を胸にそれぞれが帰途に着きました。お世話頂いた交歓会係の皆様、ご指導頂いた先生方に厚くお礼申し上げます。
発表作品:2011羽仁先生 基本体操
参加者 36名
今年のこの大会は、これまでの「みんなで 楽しく 動こう」に加えて「東日本大震災支援」を行うこととして開催されました。参加者は2歳から
87歳までの2330名、84チームで、わがアンセルチームは、36名の参加でした。
発表作品は、2011羽仁先生プログラムの基本体操で、体操学会、交歓会に続いて今年3回目の発表となりました。出演は51番目、午後14時30分からの
発表でした。ユニフォームは男女とも一昨年のデンマークツアーで新調したTシャツを着用しました。ポジションは横8人X縦5人で、中央縦2列にオレンジ色の男性が
配置され、男女の特性が生かせるように工夫されたプログラムでした。今年1年繰り返し練習してきましたので、ほぼ満足できる演技が出来たと思います。
午後の部で主催者ご挨拶のあとの特別出演は「横浜ベイスターズ チアチーム diana」で、若さ溢れるチアガール達の見事な演技に感動しました。
アンセルの発表に先立ち、39番目に殆どがアンセルメンバーのYEKとサンスポ−ツの合同チーム25名が「ベーシック・バリエーション」を発表しました。今年で
3回目の参加でしたが普段アンセルの練習でもやっているベーシックな動きを、色違いの2グループが゚それぞれ別の動きをしながら、一つにまとめられていました。
アンセル発表のあと69番目に、殆どがアンセルのベテラン女性であるコンパスの17名の皆さんが「コンパス2011」を発表しました。
心もからだもしなやかで健やかになることを目指した演技でした。
曇り空、時々小雨の天候でしたが、今年最後の発表を終え、みんな満足感を胸に帰途に着きました。
講師: 「からだを見つめる―実践・理論―」 鈴木 拓
「玄米ダンベル体操」 森本 美恵子
「からだほぐし」 古川 幸子
参加者 73名(内アンセル21名)
2007年からこの会の参加がアンセルの公式行事となり、今年は5回目の参加となりました。11月末なので寒さが心配でしたが、穏やかなお天気に恵まれました。
午前10時 開会の挨拶で鈴木英夫先生より本日の講師の紹介がありました。
午前の部は「からだを見つめる」のテーマでさくら鍼灸整骨院の鈴木拓先生とスタッフによる講義が行われ「腰部と股関節障害とその予防」について、パワーポイント
を見ながら一つ一つ説明されました。
次は実践です。
"腰−骨盤スタビリティートレーニング"と"股関節、体幹の筋力トレーニング"の方法をまずモデルの先生がお手本を見せてくれ、私たちは二人組になってお互いを
チェックしながらやってみました。その中を10人くらいのスタッフがそれぞれ分かれて見守りながらより詳しく指導してくださいました。
息を吸う時も吐く時も腹筋と背部に力を入れて体幹を安定させるトレーニングです。やってみると力を抜かないで呼吸するのは難しく息が止まってしまいそうです。
モデルの先生の腹筋を触らせてもらったら、びくともしない、あの割れている筋肉でした。
サッカーの長友選手も同じようなトレーニングをしてぶつかっても倒れない強い筋肉を作っているそうです。これらのトレーングで腹筋群、背筋群の筋力向上と
臀筋群の筋力向上や柔軟性が正しいからだの使い方や姿勢に結びつくことを再認識しました。
ランチタイムは昼食を取りながら鈴木英夫先生の解説で「14th ジムナストラーダの風」の映像を見せていただきました。
午後の部は私達、アンセルの古川幸子先生による「からだほぐし」です。
ウオーミングアップをかねたベーシックのプログラムは、いつものアンセルの練習を思い、のびのびとできました。
次は森本美恵子先生の「玄米ダンベル体操」です。筒状の布袋に300gの玄米を入れたダンベルを握りながら行う運動です。
ダンベルを持った手首を内側に向けて動かすことによって、今話題の加圧式トレーニングと同じ効果が得られるとのことでした。実技に入る前に体操フェスティバル・
ヨコハマ2011で発表された男性チームのプログラムが実演されました。中高年の男性の気合いの入った演技は中々の圧巻でした。
その後、各自2つのダンベルを持ち12パターンのダンベル体操の中から数パターンを取り入れた動きを練習しました。手首を内側に入れ、肘や膝を伸ばしきらない事を
注意し、侍の"打つ、刺す、突く"の動きを入れたダンベル体操です。
一世風靡セピアの元気な曲に合わせての練習後は半分に分かれての発表です。わずかな時間だったのにみんな格好良く輝いていました。
最後はまた古川先生のクールダウンですっかりリラックスして気持ちよく終わりました。
今日一日講義や実技を通して今回のテーマであった「動きでからだを見つめる」を実践でき有意義に過ごすことができました。
ご指導の先生方ありがとうございました。参加の皆様本当にお疲れ様でした。
参加者: 20名(うちアンセル会員17名)
城崎温泉(三国屋宿泊)
11月30日:城崎→(マイクロバス)玄武洞→コウノトリの郷公園→
日和山海岸→城崎温泉(三国屋宿泊)
12月 1日:城崎→(マイクロバス)出石(いずし)昼食→京都駅解散
京都駅午前10時集合で始まった旅は総勢20名。思ったより大きめの貸切マイクロバスに乗り込んで一路天橋立を目指します。まだ黄葉がきれいな景色を楽しみ、
だんだん明るくなる空に旅の期待も膨らんでお喋りも弾みます。
降りたところは笠松公園駐車場。目の前に対岸の宮津の町と海をわけるように天橋立が松の緑の線で弧を描いていました。
昼食後、ケーブルカーでさらに眺望のよい展望台へ。有名な股のぞき!ちゃんと手すり付きの台があって代わる代わる試して写真も撮りました。
3枚100円の「かわらけ」投げにも挑戦。近そうに見えてなかなか的の輪まで届かず、あっちこっちに行ってしまい大笑いでした。復路は1人乗りのリフト、
生まれて初めて乗るとしり込みする人もいましたが、ポカポカ陽気にかすむ山並みと天橋立の景色を十分に楽しめました。大きな丹波栗の焼き栗や干物の匂いも
お土産選びの気持ちをくすぐります。
次の目的地伊根の舟屋は、宿への到着時刻の都合もあり、下車せず車窓からの見物になりました。穏やかな海の際に立ち並ぶ家々のその隙間から海が見えるのは海と
家が一体化したような何とも不思議な景色でした。
単線の線路やこじんまりした街をいくつも通り過ぎ円山川が見えるとじきに城崎温泉に入り駅近くの宿「三國屋」に到着しました。
羽仁先生菊池先生の教え子である宿のご主人田岡さんが笑顔で迎えてくださいました。
荷物を置き浴衣に着替え早速外湯めぐりに行く人、内湯で済ます人。早朝からの疲れを流していざ夕食。羽仁先生の音頭でまずはビールで乾杯。アワビのステーキも
柔らかく海の味覚を楽しみ日本酒の冷酒や燗酒と酒量もあがり笑い声が絶えませんでした。もう一皿、但馬牛の鉄板焼きにもう食べられないといいながら完食。
田岡さんがお酌の間に城崎温泉の解説もしてくださり楽しい宴会でした。
今日は小さめのマイクロバスで小雨の中、玄武洞にむかいます。円山川の川面が目の高さにあって氾濫するのではと気になるほど。なだらかな山並みに霧がかかり、
海から海抜0メートルで続くゆったりした川の流れと葦原が日常を忘れさせます。
玄武洞は160万年前の溶岩が作った自然の造形でみごとな柱状節理が縦横に走り予想以上のものでした。ボランティアのガイドさんの説明を聞き、濡れた足元を
注意しながら龍が登るように見える青龍や5つの洞を見て回りました。後期高齢者もいるグループながら達者な歩きで「どんなグループですか」の問いに、
「デンマーク体操をやっている仲間」と誇らしく答え「デンマーク体操って」の問いには「ラジオ体操の大元」と。バスの中から大きく手を振って次のコウノトリの
郷公園へ。
農薬の使用で餌がなくなり、昭和46年に日本の空から消えたコウノトリを最後の生息地だった豊岡市がもう一度大空に羽ばたかせる事業を進めており、今では放鳥の
数も増えバスの車中から幸運にも飛ぶ姿をみた人もいました。
段々畑状に作られたケージの中で動かずにいる姿は鶴よりも大きく見えました。
模型の巣は大人二人がしゃがめるほどの大きさで愛らしいポーズで写真に収まりまわりで見ていた私たちもやさしい気持ちになりました。
コウノトリの刺しゅうがされたしおりやハンドタオルなど、ここでもお土産選びの姿が・・・
また雨が降り出し水族館は中止して、デンマークチームの男子らが波打ち際の岩の上で倒立したという日本海の荒海を一目見に行こうと日和山海岸へ向かいました。
バスがついた時は雨風が強く荒々しく波が打ち寄せていました。
さっと降りて、あの岩の上と確認してすぐにバスに戻りました。
宿について各自が遅いお昼。夕飯の蟹を期待して軽めにしました。
雨足の強くなった中、外湯めぐりに向かいました。私の部屋は昨日2か所、今日は3か所を回るつもりで長靴を借りました。
一番離れた鴻の湯、屋根つきの露天風呂で温まりました。次は御所の湯、ここは人気があってか混んでいました。背もたれの高い椅子状になっていて背中を温泉が流れ
気持ちよいもの、深めの浴槽に立って入りジェットバスが腰のあたりを刺激するものなど何種類ものお風呂がありました。最後に行った柳湯は木の香が匂う小さめの
浴槽でした。温泉の湯温は高く湯船に入る前にかけ湯をするように書いてありましたが、関西弁のグループのお一人は「ようはいらん」と言って足先をつけるだけで
した。お母さんにつれられた2歳くらいの女の子が静かに入っていて「強いのね」と声をかけたら「この子は熱いの好きみたいですよ」とお母さん。
せっかく温まった身体が冷えるほどの雨の中大渓川に架かる橋を渡り柳の風情も玄武岩の石組みを見る余裕もなく宿へ急ぎました。
今日も広間で宴会。椿野さん差し入れのコウノトリ米で作った焼酎で乾杯。目の前の蟹づくしに足を運んだ甲斐がありました。
生の蟹足の身のトロッと甘いこと。「せこ蟹」は松葉蟹のめすで、「そとこ」のプリプリと美味しいこと、甲羅の中にはカニミソと「うちこ」の卵がぎっしり、
やっぱり違うと今日はみんな身をせせるのに真剣で話し声も少なかったです。
宴たけなわの頃、椿野さんもお酌にまわり、城崎温泉の共存共栄の仕組みをはじめ、コウノトリにかかわる蘊蓄を聞かせて頂きました。
〆は鍋、剥いた身はしゃぶしゃぶとさっと引上げ食べなさいと、仲居さんとも打ち解けて、途中で腰痛予防のストレッチを伝授したり・・・ご飯はどれくらいと雑炊に
してもらい大満足でした。
いよいよ出石(いずし)を観光して京都から帰路につく日。
男性陣で地蔵湯に行って菊池先生が一番札をもらったそうです。朝早くから並んで手に入れるそうですが、地元の人は貰えず先生が貰えたとか。木の札の表に月日が
記入され裏側には地蔵湯の外観が載っていてよい記念になることでしょう。
早めに荷物をまとめ、朝食後、最後の?お土産選びです。昨夜いただいた焼酎「コウノトリとの約束」をまとめ買いに走る人も。私は家族に蟹を送るようにしました。
宿の皆さんに見送られて、出石へ。ちょっと強硬なスケジュールです。京都まで出石から3時間はかかると観光の時間は大幅に少なくなり、名物の出石の皿そばの昼食は
11時予約。辰鼓楼近くにバスが止まり昼食場所を確認。傘をさして案内図を手に試飲のできる酒蔵を目指すグループ。郡役所として明治時代に建てられた明治館に
向かう人、辰鼓楼を詳しく見に行く人と。出石焼の白い焼き物を見たり、限られた地域しか観光できず、歴史を感じさせる町並みにまた来たいと思いました。
300年の伝統の「出石そば」は信州上田城主だった仙石氏がお国替えと共に出石に持ってきたもの。皿そばはせいろ一枚分を5つに分けて出される。挽きたて打ちた
て茹でたてとそばの出来立てを楽しむためでしょう。山葵をおろし生卵、とろろ芋、ねぎの薬味、生卵一個にちょっと驚きました。そばつゆを入れるとダブダブ。
そばの香りも薄れてしまうのでは?黒豆やたくあんが出ていてそれを食べながら待ちます。小さい皿で出始めるとあっという間に食べてしまいました。蕎麦湯もおいし
く飲みました。
そしてバスに乗り込んで京都を目指します。
京都に近づくにつれ雨が上がり、バスの中では十分この旅行を楽しんだ満足感で静かに休息する姿も・・
無事予定より早めに京都駅に着き解散となりました。
今回の旅行を企画手配くださった古川先生、村松さんらに感謝申し上げます。
城崎温泉、近くはなかったですが、たくさんの思い出ができ良かったです。ありがとうございました。