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アンセル通信・コラム

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第10回 (2015.9.30)

『マラソン・そして伴走との出会い』
山之内 咲子

私は寝たきりの義母を2年間看病した経験から(今の様に介護ケアは有りませんでした)、自分のこれからの健康に強く感じ入り━ いつでもどこでも相手がいなくても出来る━マラソンを始めました。50歳過ぎの遅いスタートで、電信柱一本ずつ距離を伸ばすような トーチマラソン 努力をしましたし、市川マラソンクラブに入り走り方も習いました。ちょうどマラソンブームの起きた頃で、あちこちの第1回大会に参 加しました。3,4年後にはホノルルマラソンにも挑戦しました。私の走りを見て夫も奮起、夫婦で長野オリンピックのトーチマラソンも 走りました。
  障害者の伴走があることは全く知らなかったけれど、こんなに楽しいマラソンで、お役に立てることを何かやりたいと思っていたところ、 盲人さんの伴走をやっているという方と出会い、ご縁を感じました。
  先ず日本盲人マラソン協会に入会、その後出来た東京都視覚障害者健康マラソン、バンバンクラブ、アキレストラッククラブと4つの クラブに入会して皆さんと毎週楽しんでおります。伴走者では私が最高齢。最近は走りたい盲人さんが多く、伴走ボランティアが足りません。

ボランティア当日は、最寄りの駅まで盲人さんを迎えに行き、終わったらその駅まで送り届けます。伴走しながら周りの景色を説明したり、 伴走が初心者の方には盲人さんとつなぐロープの指導もしています。たとえばつくばマラソンのように盲人さんと一般の人がまぜこぜでスタ ートすることがあり、盲人さんはスタート位置が前の方です。スタートすると一般のランナーは前に出るのに夢中なので、よく注意もせずに 盲人さんと私の間を抜けようとする人もいます。抜かれそうな時にはロープを短く持ち、間に人が入らないようにして、自分の身よりも盲人 さんの安全を最優先に行動します。
  盲人さんは身体の感覚が大へん敏感です。伴走者の緊張がとてもよく伝わり、走りづらいのです。その緊張がなくなると、速い走りもできる ようになるのだけれど。パラリンピックに向けた強化合宿もあります。速く走りたい人は前の人を抜くのですが、以前初心者の伴走者が、 後ろから「危ない、危ない!」と声をかけて抜こうとしたことがありました。これはいけません。盲人さんは「危ない」と言われるとどう していいか分らない。「右から入ります」「左から入ります」と声をかけるのです。そういう事も、新人伴走者に教えたりします。
  盲人さんとボランティアの間を取り持ったり、相談役になったり。こちらから声をかけないと居ることが分らないので、積極的に声を かけて励ましたり、メールをしたり。メールはパソコンの音声機能でやります。

赤ずきんチャンに扮して@

ネットニュースに出たり、金哲彦さんが書いて下さった(リンクページ参照)『小布施見にマラソン』は2泊3日の長野のマラソン旅行でした。 生まれた時から全盲の方との伴走伴歩でハーフ21kmを完走しました。仮装の支度は、私を喜ばせようと、一切の相談なく全部盲人さんが 用意してくれました。赤ずきんちゃんの衣装もエプロンも花かごも中の花も。楽しい旅でした。

赤ずきんチャンに扮してA

ランニング目的一つにした人達との出会いは素晴らしいです。皆さん個性が強いですが、障害者は強くないと生きていけないのだと思います。 人の手をかりることが多いので、強い意志をもって、自分の考えをはっきり言います。伴走するときに持つロープを綺麗な色の紐を使って編み、 プレゼントしていますが、「何色がいい?」と聞くと「ピンクと白」「青と緑」「黒と赤、目立つかな?」などと言い、決して「何色でもいい 」とは言いません。もし自分の手から離れてしまった時に、色を聞いてそれは自分の、と言えるようにというのもあるでしょう。夜眠いなあ、 と思っても、いやいや一本編んでから寝よう、と思ってしまいます。

小さな事に喜びを感じる自分をありがたいと思うようになりました。
  膝を痛めて走るのをやめていた時もありましたが、体操をやっていたから治り、体操をやっていたから伴走を続けることが出来ました。
  行きたいと思って行けるのは感謝です。次回は来月、10kmのタートルマラソンです。走る人は私と同じくらいの年なので、二人合わせて 170歳。交歓会の前日ですが、頑張って行ってきます。
  自分の健康に気を付け、少しでも人様のお役に立てるようにと思っています。

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