アンセルはデンマーク体操を愛好するグループです。

アンセル通信・コラム

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第3回 (2007.11.11)

『デンマーク体操交歓会の歴史』及び
『東山魁夷画伯とデンマーク体操』
堀内 浩二
『デンマーク体操交歓会の歴史』
デンマーク体操交歓会は、1974年(昭和49年)に第1回を開催してから、本年(2007年)の開催をもって、34回を数えます。 長く続けて来たこの体操交歓会には、私は、次のような経緯の中でその開催に対する思いがあります。

1972年(昭和47年)10月に、デンマークのビボの学校チームが来日し、東京YMCAに来られた時に、デンマークの体操チームと 私たちの体操チームとの体操交歓会を持ちました。その折、デンマークのビボのクヌッセン校長から私にデンマークへの招待を 受けました。
 同校長のデンマーク帰国後、1973年(昭和48年)3月に、一ヶ月の予定でデンマークに来るようにとの連絡を受け、私は、 デンマークへ出かけ、ビボの学校に宿泊し、初めての寮生活を味わいました。
 ビボでは、デンマークの生活習慣をじっくりと体験し、学校での授業の受け方、考え方の違いなどを、同級生と学ぶことができ ました。中でも週末に行われる体操会は、技を競うのではなく、地域の体操チームが今練習している体操を発表する会で、お互いに、 体操を評価して、拍手を送っていました。日本では素人集団の発表会は考えられませんでしたので、このような体操の楽しみ方の 交歓会は、素晴らしいと感動しました。

デンマークでの体操交歓会を体験した私は、日本でもそのような体操交歓会が持てないものかと、考えていたところ、 1974年(昭和49年)に名古屋YMCAの新館が完成し、それを機会に第1回のデンマーク体操交歓会を開催する運びになりました。 1975年(昭和50年)は横浜YMCAの新館が完成したので、そこでも体操交歓会を開催し、1976年(昭和51年)には東京YMCAで 開催し、その後毎年体操交歓会を開催してきました。

デンマーク体操交歓会は、毎年順次、東京、横浜、名古屋のYMCAで行っていましたが、1980年(昭和55年)は、 名古屋のYMCAで体操交歓会を開催した後、その年に東京で、社会人も参加した体操交歓会を開催しました。
 地域チームからの希望があり、社会人も体操交歓会に参加することになったのですが、名古屋で体操交歓会を 開催するときは、東京、横浜地区の社会人は、名古屋までは距離的に遠く参加できないので、その年は東京で、社会人を含めた 体操交歓会を開催することにし、その後もそのように運営してきました。

1993年(平成5年)に、体操交歓会も20回を数え、それまで体操交歓会の運営がYMCA中心であったのが、1994年(平成6年) から社会人を含む人たちの運営に発展し、「デンマーク体操友の会」が生まれました。体操交歓会は引続き行われ、 運営の幅が広がりました。

1998年(平成10年)のデンマークツアーを機に、「アンセル」が誕生し、交歓会、交流会と国際的な交流に発展し、現在に至って おります。

『東山魁夷画伯とデンマーク体操』
東山魁夷画伯  1979年(昭和54年)7月15日(日)付の日本経済新聞に、東山魁夷画伯の「朝の体操」という随筆が掲載されました。 「私の一日は、若い時習い覚えたデンマーク体操をすることから始まる」という書き出しで、画伯がデンマーク体操をしていたこと について書かれていました。
 それによれば、画伯は、1931年(昭和6年)に来日したデンマークのニルス・ブック一行のデンマーク体操の実演を見る機会があり、 健康そのものの青年男女が演じた体操の美しさに心を打たれ、これがきっかけとなり、YMCAに入会してデンマーク体操を習い 始めたとのことです。 1931年(昭和6年)からドイツに留学するまでの2年間と、帰国した1935年(昭和10年)から3年間、神田のYMCA体育館でデンマー ク体操をしたとあり、二・二六事件のあと、「二、三年ぐらいで、この体操クラスも廃止になったように記憶している。」と書かれ ていました。

私は、東山魁夷画伯がデンマーク体操をしていたことに驚き、早速、書状で現在も私が引継いでやっていることを書きました。 画伯から直筆の書面を頂いたのが、1979年(昭和54年)8月7日でした。9月23日に第6回デンマーク体操交歓会が開かれるので 、直ちに招待状を差し上げましたが、所用で出席不可能との連絡がありました。
東山魁夷画伯を囲んで ところが、交歓会の当日、 プログラムの進行中に、東山画伯からの電話で、都合がついたのでこれから行くとの連絡がありました。 プログラムの終了を遅らせて画伯をお待ちしました。午後4時に画伯は急いで来場されました。9月とはいえ体育館は暑く、画伯も 汗びっしょり、私が隣席に居て扇子の風を送って差し上げたことを今も思い出します。参加者全員に対し画伯のお話しを頂き、 記念写真を撮り、閉会しましたが、忙しいなか時間を割いて来場された画伯のデンマーク体操に対する思い入れに感動致しました。 その後、整理した交歓会の写真を持って、12月22日に 画伯邸にお伺いし、お話をさせて頂いたことも貴重な思い出となりました。

東山魁夷画伯を迎えて交歓会 全員集合

1981年(昭和56年)の横浜での交歓会にも東山画伯に案内状を差し上げたところ、その日が唐招提寺のお厨子絵の奉納式で出席で きないと、書状を頂きました。奈良の唐招提寺に奉納するため、東山画伯が、唐の高僧 鑑真和上(がんじんわじょう)のお厨子絵 を「瑞光」という作品名で制作し、その奉納式に出席されるのです。交歓会に来られないのは当然です。
私の手元に今でもある丁寧に書かれた画伯の書状を見ながら、デンマーク体操に関心を持って下さった東山魁夷画伯を偲んでおりま す。

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