アンセルはデンマーク体操を愛好するグループです。

アンセル通信・コラム

アンセル通信

デンマーク滞在記    11月10日〜17日 
古川 幸子  

11月10日(火)
真っ暗なビルン空港に到着、アンナ のご主人のオーレとお母さんが出迎えてくれ、アンナの家でお母さん特製の鴨のロースト (デンマークでは11月10日は鴨のローストを食べる日だとか)とジャガイモとかグレービーで作ったソース、デンマーク料理でした。 食後はアンナ の作った、グリスアラマン(お米をミルクで煮て、生クリームとアーモンドを刻んで混ぜ込んだもの)にイチゴソース。 クリスマスにはサクランボのソースでこのデザートに一粒、そのままのアーモンドを入れて、それに当たった人はプレゼントが貰えます。
  翌11日オーフス郊外のアンナのお母さんの家に来ましたが、昨日のデザートはお米の煮方が足りなくて固かったから、今日はリベンジで、 エーブラケーエ(煮リンゴとパン粉の炒ったものを重ねて上に生クリームをのせる)を作るそうです。これもデンマークを代表する デザートです。しっかり、午前のコーヒータイムで、ココナッツのケーキをいただきました。ここにいたら、必ず太れます!

11月12日(木)
お母さんとオーフス郊外にある「モースゴー先史博物館」に行きました。38年前に行った時には古く薄気味悪かった博物館は、 今は近代的な建物になっていて内部もハイテクを駆使し、石器時代からヴァイキング時代まで、発掘物が時代を追って展示されていました。 儀式の際に生け贄にされた2000年前の炭化したミイラもひっそり展示されていました。

11月13日(金)
アンナにヴィボーまで送ってもらって、キスの誕生日を祝うレセプションにホップイン、顔見知りの人達に会って再会を喜びました。 プレゼントを車に積んで家に帰れば、玄関にも花束が届いていて、ここからはキスの秘書。いただいた12の花束に送り主のカードを付けて 花瓶に入れ、昼食後は学校に行き宿泊部屋の割り振り…名前のカードを入れ、ボールペン、鍵、メモなどなど手渡したり、受け取ったり 、忙しい!
17時に親族全員が集まり、夕食後、講堂でキスのご挨拶、子供達(9〜11歳)のトロンボーン、ギターの演奏、場所を移動してフォークダンス (超〜面白いおばさん先生の指導で)1時間たっぷり動いて21時からは天板いっぱいに作った誕生日には欠かせない人の形をしたケーキ (つい先日亡くなったお兄さんの奥さんスティナの手製)や飲み物、ワインやビールなどなどそれぞれに楽しんで23時半ころお開きでした。
  日本ならお葬式か結婚式でなければ、これだけの親戚は集まらないでしょう。10月26日にお兄さんを亡くしたばかりのキスのもとに甥・姪7人、 その連れ合い、子供や連れ子、恋人まで34名全員が金曜の夕方から日曜の夕方まで集まって、学校に泊まり込むなんて、日本では考えられない。 キスがいつもみんなを大事にしているから、子供達もキスを慕い大事にしています。素晴らしいです。私達も学校に泊まりました。私は38年 ぶりの宿舎です。

11月14日(土)
今日は8:30朝食の後、9:30から30分私の体操。会場が狭くてもデンマーク人らしくポジティブで集中していて楽しかったです。いつもの 足指ほぐし、グーパーなどから始めました。足指と手指をがっちり組んだらビックリされ、パーをすれば、歓声が上がり、手足ずらして グーパーをしたら、口をあんぐり。キスの姪でナショナルチームの女子リーダー経験者のアンナマリーエは、さすが、綺麗に全てこなし ていました。お尻歩き、ローリングプログラム、スウィングをしてからラジオ体操を紹介、日本語の号令の入った音楽で一回通しました。
  体操をしない直系でないお嫁さん達も「すごく気持ち良かった、あのくらいならちょうどいい」と言ってくれました。 その後、キスの指導でスピニング(固定自転車トレーニング)。私は写真を撮ったり、ちょうど練習に来ていたヴィボーのエリートの練習を 見たりして過ごしました。
  午前の締めくくりは、亡くなったお兄さんの一番年上の孫娘の半年に渡る旅行の写真を見せながらの話でした。十代の女の子二人で半年間、 シンガポール、ニュージーランド、フィジーなどを6ヶ月も旅するなんて、日本では考えられませんが、学費が無料のデンマークではずっと 続けて学業を終える日本とは違い、ごく普通のこと。
  議会では早く働いて税金を納めて欲しいから学業を早く終わらせるように、制度を変えようとしているけれど教育者の側としてアンナはそれは 間違っていると言っていました。
  午後は球技の時間で4チームに分かれて親戚対抗のバレーボール。盛り上がっていました。私は上靴を忘れたのを幸いに、未亡人のスティナと 次男のお嫁さんと、イエッタに誘われ散歩に行きました。時折、雨がザーッと降る中、一時間半くらい、森の中を迷いながら歩いてやっと学校に 帰りつきました。
  デンマークでは連れ合いを亡くした人でも、出来るだけ外に出かける様にするそうです。キスもそれなりに気遣っていました。
  コーヒータイムを挟んで、いよいよ水泳の時間、球技もそうでしたが、キスは会場を用意し、後はみんなが本当に上手く、仲良く、楽しく活動 していて、凄いファミリーだなと改めて思いました。
  私はキスの少々大きい水着を借りて、小さい方の温かいプールを平泳ぎでチョロッと泳ぎました。泳ぐ気満々のキスに水着を返してサウナに 直行。デンマークに来て初めて芯から温まって、夕飯が終わると自然に眠くなりました。
  夕飯にはリッタとヤーンが来て、夕食後は私の写真とフェスティバルの発表の動画を見てもらいました。その後リッタの伴奏で歌をたくさん歌い ましたが、チビさんから、もう止めようとの声も上がるくらい下手くそで、リッタの伴奏が無かったら聞けたものではありません。私は眠くて 居眠り。そんな時のキスのまとめぶりもたいしたものです。
  部屋を変えてサッカー観戦で盛り上がるはずが、スウェーデンに2−1で負け試合。それでもデンマークらしくワインやビール、チップスで 楽しんだ様です。私は眠くてお先に失礼。キスはホスト役に満足しつつも、いつも最後の片付けまでの見届け役、お気の毒でした。私には 「フーハ…」と疲れを見せていました。
  フェスティバルのビデオを見て、またまた再来年の大会の話になり、私が、「もうあの大会には高齢者は無理なので参加しない」と言ってい るのに、リッタ達と勝手に盛り上がって、またコラボしよう、今から準備して、発表の場を探そうと話していました。リッタと年金生活に どっぷりつかり庭仕事なんか始めたヤーンも、サポートする気満々の様でした。こちらの要望をしっかり先に提示しないと大変な事になって しまいそうです。

11月15日(日)
以前キスについて来日したミーエの誕生日でもあり、お昼は学校でお誕生日の昼食会でした。私が親族の集合写真を見せたので思いついた のか、デンマークでは珍しい集合写真を撮り、散会となりました。

11月16日(月)
今日はこの秋亡くなったグレタさん(日本にも来てくれて、私たちのホームステイも受けてくださった)のご主人ポールとその友人オーサと フレディが午後のお茶に来てくれます。ポールだけではグレタを亡くした悲しさしか話せないから、オーサ達がいれば少しは違うだろうとの キスの配慮です。キスは日本人みたいな細やかさがある変なデンマーク人です。(フレディは来られなかった)
  よく食べ、早寝をし、運動はほとんどしていないから、しっかり太って来ました。顔が丸くなりました。この辺で気をつけないと胃が大きく なって大変! 明日は帰国の途に就きます。

11月17日(火)
ヤーンが迎えに来てくれオルボー空港まで送ってくれました。キスが自分で送らずに人に頼むなんてヤーンからの申し出だったけれど初めて のことでした。キスもちょっと変わったかな!? 空港では15回目にして初めて重量オーバーでトランクを開けてお土産のチョコレートを手提げに詰め替え、トランクを軽くしました。アムス テルダムのスキポール空港では乗り継ぎ時間が少なく、BゲートからEゲートまで走り、お昼ぬきの腹ぺこで搭乗がほぼ終わっている飛行機に 駆けつけ無事に乗って帰って来ました。

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